お久しぶりです。
今日はかなり個人的な日記です。
両親が高齢化して、テレビの音が聞きづらくなったと申告があったので、
従兄が伯母・伯父に購入していた、ミライスピーカーを購入することに。
感想はまた後日。
【注意】このエントリはシン・エヴァンゲリオンのネタバレを含みます。映画未見の方はくれぐれもご注意ください。また、筆者の自分語りがかなり含まれます。普段、クレカマニアや医療従事者として僕の姿をご覧の方は印象が変わってしまうかも知れません。
シン・エヴァンゲリオンを見てきました。初日に京都二条のTOHOシネマズ二条で見てきました。初日に見てきたのですが、胸の中に言いたい頃がありすぎて言葉が纏まらず。TwitterのSpacesやClubHouseでネタバレ解禁チャンネルで何時間も語り合っていたりして、心の中を吐露したりあれこれ考えたりしていました。
もう1週間経過し、シン・エヴァンゲリオン関連のエントリも増えてきたので、まだ気持ちは纏まっていませんが、現時点での僕の感想を書くことにしました。
恐らく何度も見に行くことになりますが、補足が出たらまた別エントリで。
まず前提を話します。僕はチルドレンへの思い入れが非常に強いです。特にシンジへの思い入れが強いです。詳細は後で述べます。
さて、映画は始まったら映画館で何度も泣いていました。号泣でしょうか。
号泣したシーンを羅列します。
まず第3村のシーンです。トウジが医者として登場します。
そこで「トウジ、生きてたのか・・・」でまず号泣。
第3村についてもシンジは完全に鬱モードのまま。
「やっぱりシンジは鬱だよなぁ」なんて思いつつも。アスカになじられたりしてね。
「こんな鬱の時になにも出来ねーよ」と完全にシンジ側になりつつも。
シンジにまた感情移入して泣いてたり。
最終的に鬱から立ち直りつつあるのを見て、救われましたが。
あとはミサトさんに加持さんとの子供が出来て、シンジと会ったり。二人の子供(リョウジとシンジ)の写真をミサトさんが見て、孤軍に特攻していくシーンでまた泣いたり。
アスカは最初シンジをなじっていますが、最後はアスカがシンジに「好きだった」と言い、シンジもアスカに「好きだった」と言うシーンでまた号泣してました。
特のこのシーンは泣きました。
元々エヴァのSSを書いてて、LAS(ラブラブアスカシンジ・アスカ×シンジのカップリング)の人だったので、このすれ違っていた2人が本人の胸の内をお互いに告白し合って、そして別れ、新たな道を歩み始めることを考えて「あ、この2人はちゃんと好きと言って、関係を過去の物にするのだな」とけじめをつけたのに号泣したり。
最終的にシンジはマリとくっつきます。
シンジは宇部新川駅でマリに迎えられ、エンディングを迎えます。
宇部新川と言えば宇部興産の最寄り駅。宇部興産は庵野監督出身の宇部市を代表する企業です。いや、山口県を代表する企業と言えましょう。
そこにシンジは就職し、アスカでもなく、レイでもなく、「破」で登場したマリとくっついたのは意外でしたが、マリは冬月研所属でユイさんが大好き。そしてユイさんの「匂い」がするシンジ君とくっついていたのは必然だったのかも知れません。
なので、25年間シンジに思い入れあった人間としては伴侶を得たという意味では正直安心したというのはあります。
・・・ただし。シンジ君のラストシーンの声が緒方恵美さんで無いのは納得行かなかったですが。声変わりを考えても、緒方恵美さんなら縁起で男の声出来ると思うのにと思いつつ。
・・・でも、本当にシンジが幸せになって良かった。
僕が新世紀エヴァンゲリオンに初めて会ったのが22歳の時です。実は本放送リアタイではなくて、旧劇場版が上映される前にテレ東の深夜に一挙放映があってそこで見たんですよね。あとで追っかけでした。
でも、一発でハマりました。勿論シンジ君に自己投影させてました、
中学時代は色々黒歴史もあったので、その頃をシンジ君に投影させたり、
あとは大学の定期試験で追い詰められていたので、「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ・・・」ととにかくシンジ君に自己投影させていました。
そして旧劇。春エヴァ(新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生)と夏エヴァ(新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に)を見ました。
映画を見おわった後に「えっ・・・?」と終わった感じで。
あっけにとられていました。
旧劇の後、当然ストーリーが補完されることもなく、NIFTY-ServeのSGAINAXの「ネルフ組」でキャラへの熱い愛を語ったり、SSを書いたりしていました。
ここで友人を沢山作り、今でも繋がっている人が何人も居ます。
NIFTY-Serveの仲間と1999年8月にエヴァ小説の同人サークルを立ち上げました。
この頃がエヴァ愛へのMaxだった時期ですね。コミケにサークル参加しながら、20代ながらもエヴァでコスプレやってたのもこの頃です。
そして、新劇場版「序」「破」「Q」と話が進み、「破」のスパシン*1っぷりに感動しつつ、「Q」のダメダメっぷりに呆れつつ、シン・エヴァンゲリオンを待ちつつあったわけです。
そして、今回の「シン・エヴァンゲリオン」を見て、チルドレンはことごとくくっついて、シンジもマリとくっついて、端から見ると大団円なのかもしれません。
多くの伏線も回収されて、作品としても完結したと言えるでしょう。
でも、全部終わってしまったと言う喪失感が半端ないです。
「エヴァが完結しないと死ねない」と言う言葉はTwitterで良く聞かれました。
僕もその一人です。
エヴァの呪いから説かれて、「成仏」したと言う人も多かったです。
(本当に亡くなったという意味ではないけども)
この後、何を生きがいにして生きていったら良いのでしょうか。
繰り返しますが、喪失感で一杯です。
ただ、細かい描写を補完しようとIMEXや4Dでも楽しむと思うし、SpacesやClubhouseで語り合うのかと思います。
だから、まだ僕は死ねませんね。
そして、また何度もシン・エヴァを見てエントリを書くかも知れません。
まずは1回目の感想として書かせて頂きました。
9月25日は世界薬剤師デーらしいです。
2010年に制定されたばかりらしく、実はsyncも最近知りました。
更に9月23日~24日に石川県金沢市で日本薬剤師会学術大会が行われました。
それに合わせて、Twitterで活動している薬剤師が一斉にブログで薬に関する啓蒙活動を行っています。
趣旨は有免許者がしっかりとしたエビデンスを持ったブログを書き、ネット上に溢れる玉石混淆の医療情報に人々が振り回されないようにしようという活動です。
syncは多様な趣味を持ち、いくつもの会社を渡り歩き、元々このブログも「某SEのれんあい☆にっき」だった様に、元SEだったりするので、卒業してから現場一筋という方のようなエントリを書けるはずはないです。
でも、僕には一つだけ10年以上追っかけてきた問題があります。
「成人ADHDへの塩酸メチルフェニデート(リタリン(CG202)・コンサータ))」の適応問題です。
2013年末にようやくコンサータが成人適応になりましたが、2007年10月17日のコンサータの小児のみ承認と、リタリンのナルコレプシー以外への処方制限、そして厳格な流通管理導入。
これで多くの成人ADHD患者が苦しんできたのは、一医療従事者としてかつ患者として最前線で見てきました。
syncははてなブログがある限り、この情報をアーカイブとして残しておくつもりです。
最近はエントリも殆ど書かず、書いてもネット周りの話や趣味の話が多いですが、
昨晩、ワールドカップの日本×セネガル戦を見終わって、さて寝ようと思ったらTwitterが妙に騒がしい。
昨日、福岡・大名で殺人事件があったというのはニュースで聞いていたが、詳細は聞き流していたのが正直なところだった。
しかし、殺人事件の被害者がはてなブログでブログを書かれているhagexさんらしいという噂が入ってきて、
「・・・えっ・・・?」
と絶句した。
新聞社の記者がhagexイベント=大名の事件という情報を(おそらく警察から)掴んで、イベント参加者に取材replyかけている。
— ǝunsʇo ıɯnɟɐsɐɯ (@otsune) 2018年6月24日
つまり刺殺被害者=hagexで確定したということだよなこれ。 https://t.co/ThoRVJv974
読売などで報道の実名なら、ハッカージャパン編集長、スプラウト。そして当日のイベント主催なのでhagexさんですね。。。。ショック過ぎます
— 三上洋 (@mikamiyoh) June 24, 2018
え…? hagexさんマジで??
— 山本一郎(やまもといちろう@告知用) (@kirik) June 24, 2018
福岡の刺殺事件の被害者がhagexさんらしいと知って、ショックを受けている。どうしてこんなことに……。https://t.co/NwHcPN9zhshttps://t.co/eEf9iNIYEa
— 津田大介 (@tsuda) June 24, 2018
正直、hagexさんとは直接の面識は無かったし、同じはてなブログ(旧はてなダイアリー)ユーザでも完全にジャンルが異なったので直接やりとりした記憶は無い。
ただ、hagexさんと面識を持つ、知り合いは何人も居る。
自分から見ると2ホップ先の方になるのであろうか。
背筋が凍る思いがした。
そして、翌朝になる。
犯人は単なる通り魔的事件なのかと思っていたのだが、詳細が分かってきて、
再度絶句。
増田(はてな匿名ダイアリー)のいわゆる「荒らし」と言われるユーザが、
hagexさんの開催するセミナー会場で待ち伏せていたと言う。
完全にはてなユーザによる殺人事件。
ただ、同じ犯人に脅迫されたことのあると言う在華坊さんが、
私のように明確に殺意を示されていた人間や、あるいはもっと長年にわたって粘着されていた人間もいる。そちらではなくHagex氏が…というのは、本人が偶々福岡の近い場所の住人で、かつ、今回、特定できる場所に出てきたから、というだけのことなのか。
ともある。
ただ、
この犯人と思われる増田の書き込みによると「東京のはてな本社にも行こうとしていた」
とあり、はてなの運営、もしくはヘビーユーザなら誰でも良かったのではないか?
とも読める。
これって、東京で非公式に募集されて開催される、「はてな村反省会」のような会場がもし漏洩したらそういう場所でも襲われた可能性があるのではないか?
と考えて、背筋が更に凍った。
ユーザ歴だけ長く、零細ブロガーのsyncとしてはこの事件を受けて恐ろしく感じると共に、ブロガーが行動を公表することのリスクというのを感じたのは事実です。
最後に、通り魔的事件でお亡くなりになられた、hagex氏に哀悼の意を表します。
上記の記事を読みました。
syncと同じ就職氷河期世代の方のエントリです。
就職活動で苦労をされて、その中でwebデザインという仕事に出会い、今ではUIデザインという仕事をされている、とあります。
今のご時世、就職が余りに売り手市場になって積極的に採用を行い、内定続出という状況です。
でも、どうしても僕はそれを面白く思えませんでした。
・就職活動の時
「自分の世代はエントリさせてすらもらえない。(当時就職希望先のNTT東西は採用を凍結していました)」
・入社後
「就職した先の会社は創立以来一番最短の研修期間で配属になり、いきなり現場に放り込まれる。さらに入社してから1年後に、部署の統廃合が起きた。その結果、管理職だらけになって逆ピラミッド型の組織に所属することに。管理職は3人に平社員1人とかで、雑用は平社員に全部回ってくる。」
・入社3年後
「更にはデスマーチプロジェクトに放り込まれ、月150時間の残業でメンタルを病み、休職を余儀なくされる」
・入社5年後
「復職後はパワハラ上司が付いて、メール1通送るのにも全て承認を得ないと送ってはいけなくなった。さらには偽装請負の指示をするよう上司から命令されることになり、やむなく内部告発。更にパワハラが進む。」
・退職
やむなく退職。キャリアチェンジを図る。
・転職6ヶ月後
粉飾決算で転職先倒産。(ちなみに社長は実刑判決で刑務所送り)
こんな新卒・転職人生を送ってました。社会はどうかというと、氷河期の後若干景気は回復した物の、非正規雇用は増える一方でした。
こんななか特に腹が立ったのは、「過労死は自己管理(自己責任)」という言葉で心身共に倒れきった僕の身体にトドメを刺すように浴びせかけていました。
この経緯を書いたのが下記のエントリです。
こんな思いをしたんだから、
「20代には残業150時間ぐらい残業して、一度ぶっ倒れて貰い、「倒れたのは自己責任だから」と冷たく言い放ちたい」
「20代にはパワハラで精神を病んで、閉鎖病棟に入った人に「それは会社が悪いんじゃ無くて、自己責任だから」と冷たく言い放ちたい」
などという、余りにドス黒い思いがしばらく身体の中に残っていました。
・・・
でも、時代はもう変わったんです。
良く体育会系の部活であるような、
「俺たちが新入生の時にシゴキを受けたんだから、お前らも同様の思いをしろ」
という考えは終わったんです。
残業150時間はおろか、それ以上の過剰残業をさせて、亡くなった電通の新人社員に対しては、彼女に「自己責任」と冷たい言葉を吐き捨てることは無く、逆にこれだけの過剰労働をさせた会社側の刑事責任が問われるようになりました。
検察は略式起訴したものの、簡易裁判所は正式裁判を選択し、公開の法廷で裁かれることになりました。
いつまでも20代の心の傷を引き摺っている場合ではありません。
自分たちが受けた「仕打ち」を繰り返してはいけないと思い、就職から10年以上たった時間で得た経験を社会に還元出来るようしていかなければならない時期に来たのだと思っています。
なので、ここで僕もロスジェネにさようならするかな、と宣言したいと思います。
ただ、一つだけ気になることが。
syncは運良く正社員で転職をしつつ綱渡りのような人生を送っていますが、同じ同世代で正社員になれずに非正規社員のまま生活をしている人たちです。
彼ら・彼女らを経済的にも仕事をするやりがいという意味でも救済できる良い方法はないのでしょうか。そこだけ解決する妙案が提案できないのが残念です。
以前、上記のようなエントリを書きました。
その後も同じ職場で仕事し続けていたのですが、結局その会社を退職することにしました。
それなりに成績は上げており、顧客からも後輩からも信頼されていたのですが、全く評価だけはされないので退職することにしました。
退職する際に折角なので上司と話をしました。その時言われた言葉が次の言葉です。
退職願を出すときに課長と面談をしたのですが、「なんで職場の利益にすこしは貢献していると思うんですけど、まったく評価されないんですか?」と聞いたら、「sync君は腹痛とかで数分遅刻することがあるでしょ。基本が出来てない人は全てダメ。まったく評価に値しない。」
— sync_sync@新刊完売御礼 (@sync_sync) 2017年1月8日
いわゆる減点主義という言葉があります。
10点の成績を上げた。しかし、遅刻で2点マイナスした。
10点-2点=8点で10点の人よりは評価が低いけど、3点や5点の人よりは評価が高い。普通の評価方法だとこのような考え方ですよね。
でも、そうでは無かったんです。
10点×遅刻をした(0)=0点 0点なんだそうです。全く評価に値しないと。
何か減点になる要素があった時点で一発アウトという考え。
いわゆる減点主義ですよね。
腹痛での遅刻は懲戒処分を受けた人と同じような考え方を課長はしているようです。(理由無しの無断遅刻は懲戒処分ものですけどね)
成績を上げるよりも、インフルエンザになろうが、ノロウイルスにかかろうが、子どもが熱を出そうが、定時に出社する人だけが評価に値するそうです。
定時出社云々の話は上司が日々言ってた話。ああ、この課長は自分の評価軸ではなくて、上司からの報告だけを鵜呑みにして別視点から考えていないんだなと思いました。
そんなこともあり、現職に見切りを付けて退職することにしました。
もちろんお腹が弱いのであれば、早めに家を出るとか早く起床するとか工夫をさらに重ねる意識も重要ですが、それよりも万が一の体調不良時のやむを得ない遅刻・欠勤で先のキャリアは0扱いする会社からはおさらばします。
そして、気分を一転して今自分が出来ること、得意なことをアピールしつつ、住職近接の場所へ前向きな考えて進みたいと思います。