JAL123便(JA8119)の事故から30年
1985年8月12日から今日でまる30年になりました。
ここ数日、テレビ・ラジオでは123便のCVR(ボイスレコーダー)の音声を頻繁に耳にするようになりました。
当時10歳でしたが、その日の出来事はよく覚えています。30年前の事なのにその日の出来事をしっかりと覚えています。
・昼
すごく暑い月曜日でした。夏休みだった僕は小説「チョコレート戦争」を読んでいました。
・夕
日が暮れて、TBS「クイズ100人に聞きました」を見ていると、日航機遭難のテロップが。
・夜
TBSで映画「東京裁判(後編)」を見ていましたが、そこで臨時ニュースが入った記憶が。
翌日は近くの病院に行ったのですが、大見出しで事故を報道している新聞を持っている人が居たのを覚えています。
その後も報道による精神的影響という言葉もまだ無かった頃、テレビ・新聞は日々日航機墜落の報道ばかり。写真週刊誌は遺体の写った写真を普通に掲載していました。
それが子ども心にこたえたのか、未だに飛行機が墜落する夢を年に何度か見ます。
過熱報道が原因の一種のPTSDかも知れません。
直接周囲の人で遭難した人は居ませんでしたが、自分が通っていた塾の先生の知り合いが事故で遭難したとは聞いています。520人もの方が亡くなられたわけですから、数ホップ先には事故の犠牲者という方は結構多いのかも知れません。
一度は羽田のJAL安全啓発センターを訪問して、空の安全について再度知りたいと考えています。
あらためて、JAL123便(JA8119)の犠牲者の方に合掌。