あけましておめでとうございます。
2016年も宜しくお願い致します。
あけましておめでとうございます。
2016年も宜しくお願い致します。
今年もはてな村反省会2015に参加してきました。場所は銀座のルノアールにて。
参加者は豪華メンバーです。
何を話したかというのは、オンラインで言えないあんなことやこんなこと。
銀座の会議室で15人が5時間喋りっぱなし。
上記のホワイトボードの画像をお見せできるのがやっとです。
幹事をして頂いた、id:inumashさん、本当にありがとうございました!
最近思うこと。仕事を人一倍やっていたり、高度な生産性を上げていたり、火消し役をやっていたり、売り上げ向上に貢献していたとしても、遅刻をする人はそれらを全て無かったことにされると言うこと。それが睡眠障害とか発達障害故の時間コントロールが苦手なものだったとしても。
— sync_sync (@sync_sync) 2015, 9月 12
仕事が人一倍出来るけど、時々数分の遅刻をする人間<目立つ業績はあげないけど、定時出社を確実にする と言うことが日本社会で求められているのだと痛感する。自分のケースと言うよりはそういうケースを最近複数例聞くので。
— sync_sync (@sync_sync) 2015, 9月 12
会社に利益を生む人間で数分の遅刻をする人間より、特筆な業績は生まないけど遅刻しないで上司に気に入られる人間の方が収入が上がると言うこと。様々な業種でこういう話を聞く。結局減点主義と言うことか。
— sync_sync (@sync_sync) 2015, 9月 12
最近ふと思うことをTwitterに連投しました。
睡眠障害とか発達障害故に時間コントロールが苦手な人間が高生産性を挙げても、数分の遅刻で全て帳消しにされる事って多いよなと最近思うようになりました。
そういう人たちはタイムカードに管理されない業種か、フリーになるしかないんでしょうかね・・・。
1985年8月12日から今日でまる30年になりました。
ここ数日、テレビ・ラジオでは123便のCVR(ボイスレコーダー)の音声を頻繁に耳にするようになりました。
当時10歳でしたが、その日の出来事はよく覚えています。30年前の事なのにその日の出来事をしっかりと覚えています。
・昼
すごく暑い月曜日でした。夏休みだった僕は小説「チョコレート戦争」を読んでいました。
・夕
日が暮れて、TBS「クイズ100人に聞きました」を見ていると、日航機遭難のテロップが。
・夜
TBSで映画「東京裁判(後編)」を見ていましたが、そこで臨時ニュースが入った記憶が。
翌日は近くの病院に行ったのですが、大見出しで事故を報道している新聞を持っている人が居たのを覚えています。
その後も報道による精神的影響という言葉もまだ無かった頃、テレビ・新聞は日々日航機墜落の報道ばかり。写真週刊誌は遺体の写った写真を普通に掲載していました。
それが子ども心にこたえたのか、未だに飛行機が墜落する夢を年に何度か見ます。
過熱報道が原因の一種のPTSDかも知れません。
直接周囲の人で遭難した人は居ませんでしたが、自分が通っていた塾の先生の知り合いが事故で遭難したとは聞いています。520人もの方が亡くなられたわけですから、数ホップ先には事故の犠牲者という方は結構多いのかも知れません。
一度は羽田のJAL安全啓発センターを訪問して、空の安全について再度知りたいと考えています。
あらためて、JAL123便(JA8119)の犠牲者の方に合掌。
香港国際空港の自動両替機で200香港ドルを人民元に両替したら、100元札1枚と1ドル硬貨70枚出てきた。これはひどい。 pic.twitter.com/3VBrSRNu69
— sync_sync (@sync_sync) 2015, 5月 15
開港以来の「検問」廃止=新ターミナル記念式典も―成田空港 (時事通信) - Yahoo!ニュース
成田空港の検問がついに廃止されたそうです。
何か感無量ですね。成田空港はご存じの通り、大規模な反対運動の末に開港しました。そのため、反対運動によるテロ予防のために空港に入るには検問を必ず通らないといけません。検問では身分証明書の提示が必須です。
・電車で到着する場合・・・改札を通った後検問
・車で到着する場合・・・空港敷地内に入るときに検問。トランクも開けてチェック。
・リムジンバスで到着する場合・・・空港敷地に入るときに検問。バスの中に係員が乗ってきて、全乗客の身分証をチェック。
という手順を開港以来行ってきました。
これでも検問は緩くなったんですよね。
1990年に初めて成田空港に見学に行ったときは、「見学申込書」に氏名住所などを書いた上で学生証を提示していました。しかも見学が出来るのは中学生以下と同伴の家族に限ると書いてありました。
翌1991年に初めて一人で飛行機に乗ったのが成田→伊丹のJAL国内線。
LCCなどなく、成田発の国内線が超マイナーだった頃、成田から国内線に乗りに行くと、検問の係員が「国内線は羽田ですよ」と言って、入港させずに追い返されそうになった人が居るという噂も聞いて、戦々恐々としながら成田に入港したのを覚えています。
時は流れてLCC全盛時代。安く国内に飛ぶなら成田からLCCが当たり前、成田までのリムジンバスは都心から1000円以内が標準になる時代が来るとは夢にも思いませんでしたが、その流れを考えると検問廃止も時代の流れですね。
大規模反対運動の話しも聞かなくなりましたし、顔認証の監視カメラ設置など技術も向上していますし。
成田の検問廃止でエントリを書かずには居られませんでした。